2026/08/26 19:01


(2026年8月にnoteで公開された記事を一部改変したものです)


最近の暮らしと考えていることをつらつら書いてみました。結論はタイトルの通りです。


▼引越し先はこちら

https://www.hananakanishi.com/blog


本文は暇つぶしにどうぞ。



【目次】

新生活はじめました

Little less conversation and little more action

SNSで踊る僕ら

これからの発信と過去記事たちのゆくえ

最後に、みなさまへ


新生活はじめました


といっても就職や進学をしたわけではなく、1ヶ月ほど前から暮らしのあり方を見直す実験をしていました。


・朝は7時までに起き、夜は10時までに寝る

・起床後、必ず窓を開けて換気する

・自炊を始め、野菜とたんぱく質を多めに摂る

・日の出ている時間帯に毎日30分散歩する


これらのルーティンと日々のタスクを紙の手帳で管理するジャーナリングの習慣も、気づけば1ヶ月続いていました(一般的に、新しい習慣が身につくまで3週間かかると言われています)。


他にもSNSの更新頻度を減らしてみたり、スマホを持たずに喫茶店に行って本を読んでみたり、デジタルデトックスというほど大したものではないですが、心豊かな時間(からだの実感としては、自然に深い腹式呼吸ができる時間)が増えたように感じます。


また、イベントや飲み会のような人が集まる場所も避け、なるべく一人で過ごすことを心がけました。


独立してから2年間、人とつながり続けることを最優先に走り続けてきた私にとって、人と会わずに一人で過ごす時間というのはとても孤独なものです。


(誰にもメッセージも電話もするまいと思っていましたが、この生活はあまりに人と喋る機会がないなあ…と思ったタイミングで一番仲のいい友人のひとりに電話をかける用事ができたので、ついでにちょっとだけ長電話に付き合ってもらいました。すごく助かりました。ありがとう)


しかし今の私には、誰とも喋らずきちんと孤独を味わい、寂しいなら寂しいままに「いま自分はひとりなんだ」と心から感じる必要がありました。


理由はたった一つ。


人生と芸術に本気で向き合いたかったからです。


Little less conversation and little more action

そもそも、芸人さんやタレントさんといった喋ることを生業としている方を除き、私を含めた多くの人にとって「人と喋る」という行為についてはどこまで行ってもアマチュアです。


あまりにも身近なコミュニケーション手段だから忘れてしまいがちですが、私たちがどんなに喋ったところでただのエネルギーの発散にしかならない。


お喋りが悪いことだと言っているのではありません。ただ私個人に関して言えば、制作に向けるべきエネルギーを他者とのコミュニケーション(そして、SNSでの発信)によってほとんどすべて使い果たしてしまっていました。


様々な刺激によって感情はヒートアップし、気づけばまともなインプットもアウトプットもできない空っぽの脳みそと、ボロ雑巾のように擦り切れた魂がフローリングの床に転がっていた。そんな日々を繰り返していました。


私の職業は芸術家です。脳を空っぽにするのは鋭敏な感性を保つためであり、それによって世界において「ことばにすらできないけれどもそれでいて確かに琴線に触れる何か」に出逢ったとき、それをどうにかして何かしらの形(物理的な形でなくても)で出現させる。それが私の仕事です。


それなのに私は芸術家を名乗って様々な人と出逢いながらも、裏では芸術家としての本質的な営みを避け続けていた。


その結果、体調を崩し、しばらく寝たきりの生活が続きました(このことは時が来たらどこかでお話しできたらと思います)。


これではいけないと思い、冒頭で書いたような生き方へシフトチェンジすることを決断したのです。



新しい生活を1ヶ月間続けてみた感想ですが、心身の状態も制作へのアティチュードも少しずつ、しかし確実に良くなっています。


体調については完全に安定したとは言い切れませんが、おしなべて人間は生きている以上完全に安定することはありませんから、長い目で観察を続けようとある種楽観的に考えています。


そんな暮らしの中でふと「SNSはゆるい広報の場と位置付けて、アーティストとしての活動はウェブサイトに集約しよう」と思い当たりました。


▼HANA NAKANISHI OFFICIAL WEBSITE

www.hananakanishi.com


SNSで踊る僕ら


「幸せになる第一歩は、他人と比較しないことである」と(皮肉なことに多くのSNSでも)よく聞きますが、そもそもSNSを主戦場にしている以上、他人と比較しないことはほぼ不可能です。


プロフィールにはフォロワーやいいねの数が晒し出され、アプリを開くたびに精巧な(と言えるかどうかは専門家ではない私には分かりませんが)アルゴリズムによって選別された情報が半ば自動的な目に飛び込んで来る。


そして自分の実生活と他人の人生の切り抜きという粒度の違うコンテンツを脳内で比較させて「もっと充実しているように見せなければ」と血眼にさせるのです。


でも考えてみれば当たり前ですよね。刺激的なコンテンツで脳を中毒にして、より長時間自分たちのプラットフォームに滞在させることが彼らの目的なのですから(これは言いすぎかな)。それを承知の上で利用するツールなのであって、こちらが利用されてはいけない。


それでも見るのをやめられないのは、自分が摂取するコンテンツを自らの手で選び取っているという実感がないからだと思います。


たとえるなら、昔話や童話に出てくるお姫様よろしく、いつでも召使いが「こういうのお好きですよね?」と服や食べ物のおすすめを持ってきてくれる感じでしょうか。


最初は楽だし面白くていいんだけど、だんだん飽きてつまらなくなってくる。でも、楽は楽だからやめられない。今さら自分で選びに行くのも面倒だし、選びに行ったところで面白いものが見つかる保証もない。


召使い側もクビにされたら困りますから、頑張って目新しいものを探してくる。市場の商人たちも召使いに気に入られようと必死になる…こんな構造でしょうか。


昔話を例に出したのでちょっと分かりづらくなってしまいましたが、資本主義ってそうやって成長してきたものですよね(たぶん)。もっとおいしいもの、もっときれいなもの、もっと面白いものを…という具合です。


誤解を招かないように書き添えておくと、自分もその恩恵を受けてきた存在ですし、そもそも経済は畑違いなので資本主義を批判する意図は毛頭ありません。


私が言いたいのは(繰り返しになりますが)、そういった構造でできた仕組みやサービスというのは、「原理と目的を承知した上で利用するツールであって、こちらが利用されてはいけない」ということです。


しかし実際は私自身もその仕組みに踊らされていたし、もしかしたら他の誰かを知らず知らずのうちに踊らせてしまっていたかもしれません。踊り疲れた果てに足がもつれて派手に転んでしまったというわけです。


転んだあとしばらく地面に倒れっぱなしになりながら色々考えました。その結果、「自分のウェブサイトでマイペースにやっていくのが良さそうだな」という結論に辿り着きました。


理由は色々あります。


・デザインの自由度が高く、自分の世界観を奥行きを保ったまま伝えられる

・会員制のクローズドなコミュニティを持てる

・簡単に商品販売ができる(BASEをオンラインショップ兼ウェブサイトとして運用しているため)


こんなところでしょうか。ウェブサイトとしてのBASEの運用方法については私も研究中ですが、ある程度やり方が体系立って来たら記事にしようと思っています。



……え、どこに上がるかって?


これからの発信と過去記事たちのゆくえ

今後、エッセイやお知らせなどテキストベースのコンテンツは基本的に公式サイトのブログに投稿していきます。


▼ブログ一覧はこちら

https://www.hananakanishi.com/blog

過去にnoteで公開したエッセイ記事はほとんどこちらのブログに移設してありますので、よかったら覗いてみてください。


ときどき書いていた詩は、ウェブサイト内の会員制コミュニティで限定公開しようかな…なんて考えております。そのうち詩集もつくりたいな。



noteのアカウント自体を閉じるかどうかはまだ決めていません。


が、芸術家として駆け出した最初の2年間の足跡がリアルタイムで刻まれてきた大切な場所なので、しばらくの間は残しておこうと思っています(またすぐ心変わりしたらごめんなさい)。


とはいえウェブサイトもまだまだ工事中です。コンテンツが出揃って運用方針がある程度決まったタイミングが来たら、またnoteでもお知らせさせていただくかもしれません。いつになることやら…


最後に、みなさまへ


今までnoteを読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。


積極的に数字を追いかけていなかったこともあり、ここではみなさんと他のSNSとは違ったつながり方ができていたと(私個人としては)思っています。


そんなゆるく細くしかし強いつながりに、いつも支えられていました。改めて、心から感謝申し上げます。


これからもみなさまのnoteライフが充実したものになりますように、インターネットのどこかでひっそりと願っております。



それでは、また。